フック(HOOK):深夜、弔辞を書こうとしたらスマホの通知欄に「最終ログイン1分前」が出ていた。昨日、確かに葬式で棺を見送ったはずのアカウントだ。目が冴えて、胸がざわついて、俺は現地へ向かった。
夜道を歩きながら、スマホの時計がほんの少し遅れているのに気づいた。電池節約モードのせいか、普通なら気にしない誤差だ。友人のプロフィールをスクロールすると、「昨日亡くなったはずのアカウント」という表示がいつもより重く見えた。コメント欄に「安らかに」と指が震えて打った瞬間、通知音が鳴った。画面はすぐに消えた。そんなわけ…ないよな、と俺は一人でつぶやいた。
遺族の家の玄関前で、親戚たちの声が小さく聞こえた。誰かが「来なくていい」と言ったのを遠くで聞いた気がした。言葉のトーンに確かな厭味が混じっていて、俺の胸をさらう。中に入ると、誰もスマホを開かない。テーブルに並んだ写真立てのうち、友人の遺影だけが昔の姿で、少し古びて見えた。ひとつの写真が「最後に見た顔」みたいで、妙に居心地が悪い。
リビングで俺はまたスマホを見た。通知欄に「最終ログイン1分前」。誰が触ったのか、どうして今。息苦しくなって、テレビの明かりの下で手を動かすと、誰にも気づかれない。会話の輪の中で、俺の名前が何度も通り過ぎるが返事は返ってこない。返事しない自分に向かって、俺は身ぶりをしてみる。たぶん怒ってる、いや、無視されてるだけだ、と自分に言い聞かせる。
部屋の隅で、窓ガラスが曇っているのに気づいた。外は深夜の空気で冷たいはずなのに、ガラスの向こうに俺の息が映らない。鏡に映る自分の顔も、どこか透明で輪郭が薄い。手を伸ばして鏡肌に触れようとすると、指先がすり抜ける感覚があったような気がする。気のせいだ、と繰り返す。だが誰かが「来ないでくれ」と、確かに昔言ったことを思い出す。あれは怒りだったのか、切実な拒絶だったのか。
俺は再びスマホのプロフィールを開いた。友人の投稿は停止している。最後に投稿されたのは葬儀の写真で、キャプションは短かった。コメント欄には「最終ログイン1分前」と出続ける。誰かがログインしてるみたいで、体が震えた。周りの人はその表示を見て首をかしげるだけで、スクリーンに手を伸ばして確かめる素振りはない。まるで誰かの行為を他人は触れられないとでも言いたげだ。
机の上に置かれた友人の古いノートと指輪を触る。冷たくて、埃をかぶっている。写真の中の彼は笑っているが、笑顔が固定された時間のものに見える。俺はその笑顔を見つめながら、スマホを握る手をもう一度動かした。画面の時刻は俺より些細な差で遅れて、何度も同じ瞬間を差しているように感じられた。そこにある「1分前」は、誰かが今ここで動いている証拠だと思いたかった。
深夜から明け方にかけて、家の空気は薄くなる。会話が止まると、唯一響くのは指先がスクリーンを滑る音だけだった。俺は画面を覗き込み、表示を鵜呑みにして「誰かがいる」と確信しようとする。しかし視線を上げても、誰もこっちを見ない。誰もその指先を感じてない、と思った瞬間、画面の「最終ログイン1分前」がまた点滅した。さっきも、俺が見てた。誰も、その指先を感じてない。

コメント